俳句は有季にするべきか、無季にするべきか
そのようなことがいつもどこかで議論になっていますが
答えの出ないことを議論しても、時間の無駄に思います
有季にするか無季にするかは、作者が自由に選ぶことであって
外野が何かを言うことでもないはずです
「俳句自体に無季が許されるのか?」という問いも同じです
これもどこかの誰かが「許す」「許さない」といった判断をするものでもないですし、判断を下せるものでもありません
俳句を始めたばかりの人で、このような議論に巻き込まれた場合は
議論から避けたほうが賢明だと思います
そのようなことに時間を費やすのでしたら
もっとよい俳句を作ることに時間を掛けたほうが有意義です
ただ、俳句を始めたばかりの人で、自分は有季を選ぶべきか、無季を選ぶべきか、自分の判断では決められなくて悩んでいる、という人もいるかもしれません
そのような場合は、純粋に自分が詠みたいと思う題材が、どういうものかを考えると良いでしょう
自然を詠みたいのなら有季、自然とは無関係な哲学や社会問題などを詠みたいのなら無季
両方を読みたければ、両方を選べばいいのです
私の場合は、自然を詠むのが楽しいので有季で作っています
花の美しさ、生命の不思議さ、地球が織りなす四季の驚くべき巧緻性、それらをただ詠みたいだけです
自分が興味のある事柄は何なのか、俳句でどのような題材を詠んでみたいのか、を考えてみましょう
それは、初心者とかベテランとか関係なく、誰でも心の中に持っているはずです
むしろ、それはあなた自身にしか分からないことです
いま自分が詠みたいと思うものを、素直に詠めばいいのではないでしょうか
選んだものが、有季であろうが無季であろうが、それはどちらでも良いことです