歳時記に入っていないと季語として使えないの?と聞かれることがあります
俳句を始めたばかりのころは、わたしも同様の疑問は持ちました
歳時記に入っていないけれど、例えば夏にしか見ることでのできない風物は、夏の季語として使えばいいと私は考えています
つまり、自分で新しい季語を作って使えばいい、という立場です
理由は、昔から現在にいたるまで、そのように新しい季語を使う人がいて、それによって季語が増えてきたからです
季語の歴史を見ると分かります
飛鳥時代(592-710年)から奈良時代(710-794年)にかけての歌を収録した万葉集には、四季ごとの歌、季節の歌といった巻があり、歌と季節との関係が深くなり始めました。このころは季語という概念はありませんでした
平安時代(794-1185年)後期
歌人の源俊頼が、一年を通して見える「月」を秋の季語と定めました
能因による作歌の手引書の「能因歌枕」で、月別に分類した150の風物が登場し、今日の季語が始まりました
1851年の「俳諧歳時記栞草」では3400の季語が掲載されました
2008年「合本俳句歳時記」では5700の季語が掲載されました
2024年「四季を語る季語」には24000語の季語が掲載されています
例えば季語という概念が始まったとき、能因が150ではなく300の風物を書いていれば、300の季語が生まれていたわけです
たまたまそのときに150の風物が季語になっただけです
たまたま他の風物が季語にならなかっただけです
150の風物が季語になりましたが、実際には150語以外の言葉をどんどん季語として使っていったから、3400語、5700語と季語は増えていきました
仮に、本に載っている150語以外は季語じゃないのだから使ったら駄目だ、と言っていたら、今でも季語は150語のままだったでしょう
「本の中の季語以外は季語ではない」と言う人を見かけます
平安時代の人が「本の中の季語以外は季語ではない」と言っていたとしたら、現代人はその意見を笑うでしょう。「季語はもっとあるし、これからもっともっと増えますよ」と言って。
歳時記に載っていない風物であっても、それが例えば夏にしか見ることができない風物であれば、夏の季語として使えばいいのです
松尾芭蕉(1644-1694年)は季語を用いた芸術性の高い作品作りを目指すと同時に、後世のために新しい季語の発掘にも意識を向けていて「季節の一つも探り出したらんは、後世によき賜となり」という言葉を残しています 1)
このように、先輩たちが新しい季語を見つけてくれたからこそ、私たちはいま、たくさんの季語を使って俳句を作ることができています
同じように、私たちも歳時記に載っていない季節の風物を、新しい季語として使うべきです
新しい季語を使うからこそ、新しい歳時記に新しい季語が加えられます
そのようにして加えられた季語は、後世の俳人達への素晴らしい贈り物になるはずです
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1)勝峰晋風 編.(大正15).日本俳書大系 第4巻 (蕉門俳話文集).日本俳書大系刊行会.