俳句における季語の配置は、読者の心に与える影響を大きく左右します。上五に置くか、下五に置くか、その選択によって、句全体の印象は大きく変化します。この記事では、季語の配置によって生まれる効果と、陥りがちな落とし穴を深掘りしていきます。
上五に季語を置く
上五に季語を置くことで、読者は最初から「この句は〇〇の季語についての内容なのだな」と理解します。
それによって読者は、作者が描きたい情景にスムーズに入っていくことができます。いわば、読者への方向性を示す「道標」のような役割を果たします。
しかし、この配置には注意すべき点が一つ。季語の説明に終始してしまう可能性があるということです。
例えば、「春の雨」という季語を上五に置き、そのあとに「降りしきる」だとか「しとしとと降る」といった、「春の雨」の説明のような内容を持ってきてしまう可能性があります。
これでは、雨の様子を詠んでいることはわかるものの、それ以上の深みが感じられません。
下五に季語を置く
一方、下五に季語を置くことで、読者は最後まで「一体何が来るのだろう?」という期待感を持って読み進めることができます。そして、最後に現れる季語に、ハッとさせられるような驚きや感動を覚えることができます。
しかし、この配置もまた、落とし穴があります。それは、ありきたりな季語を置いてしまうと、読者に「そんなの当たり前じゃん」と思われてしまうことです。
「今日の暑さは尋常じゃない」という内容を最初の5・7で書いた後、下五に「夏暑し」といった季語を置いても、何の新鮮味も感じられません。
倒置法による逃げ
季語の説明的な表現を避けるために、倒置法(とうちほう)でごまかしている俳句をよく見かけます。
倒置法というのは、文章を普通の順序とは逆にする表現法です。
「君はどこへ行くのか」→(倒置法)「どこに行くのか、君は」
「早く起きろよ」→(倒置法)「起きろよ、早く」などです。
倒置法でごまかしている俳句というのは、こういうことです。
「山桜 美しくただ 散るばかり」
このような俳句があったとします。
上五に季語が置かれていますが、先ほど書いたたように、季語の説明をしているという失敗を犯しています。
この俳句を修正するために、倒置法を使って、上五の季語を下五に置き換えている俳句があるのです。
このようになります。
「美しくただ 散るばかり 山桜」
語順を変えたことで、確かに「山桜」の説明的な要素は薄れたように見えます。しかし、よく考えてみると、「美しくただ散る」という表現は、桜の特徴を一般的な言葉で言い換えているに過ぎません。
まとめ
- 上五に置く場合
- 季語を起点に、具体的な情景や感情を描写する
- 季語の持つ多様な意味合いを掘り下げる
- 下五に置く場合
- 読者の予想を裏切るような意外な結末をもたらす
- 季語と他の言葉との組み合わせによって、新たな意味を生み出す
季語の配置は、俳句の表現を深くするための重要な要素の一つです。
今回は上五・下五での話をしましたが、実際には上五・下五の二択だけではなく、それぞれの配置が持つ特徴を理解し、言葉を選ぶことで、大きな世界が広げてください。