「俳句では字余りや字足らずをしないこと」「字余りをするならなるべく上五ですること」
俳句を始めたばかりの人は先輩から、「字余り」について一度はこのようなことを言われているのではないでしょうか
一体ここで言う「字余りをするなら上五でしなさい」というのは、どのような理由から来ているものなのでしょうか?
これを理解するには、以前記事にもした、「俳句のリズム」を理解する必要があります
音楽は、4拍子や8拍子などのリズムで作られていることは、皆さんもご存知かと思いますが
五・七・五の俳句もリズムが用いられています
次の俳句を読んでみてください
4拍子で表記しています
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ゆきとけて・・・ むらいっぱいの・ こどもかな・・・ (雪とけて 村一ぱいの 子どもかな) |
このように五・七・五で作られた俳句は、四拍子のリズムにも上手く乗っていて、読む人に心地よさを与えるのです
もし、五・七・五のどこかに字余りがあると、流れが少し悪くなります
せっかくですので、上記句で試してみましょう
上五、中七、下五のそれぞれで字余りにしましたので、比べてみましょう
上五字余り
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ゆきがとけて・・ むらいっぱいの・ こどもかな・・・ |
中七字余り
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ゆきとけて・・・ むらにいっぱいの こどもかな・・・ |
下五字余り
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ゆきとけて・・・ むらいっぱいの・ こどもいでる・・ |
どうでしょう、どの句も流れの悪さを感じると思います
では、ここで私たちに「流れの悪さ」を感じさせる理由は、一体何なのでしょうか?
これは、上五、中七、下五のどの部位においてもそうですが、一拍の中の最後の言葉が裏拍にきてしまうと、途端に流れの悪さを感じてしまうのです
上五字余り(裏拍で「て」が終わっています)
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ゆきがとけて・・ むらいっぱいの・ こどもかな・・・ |
中七字余り(裏拍で「の」が終わっています)
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ゆきとけて・・・ むらにいっぱいの こどもかな・・・ |
下五字余り(裏拍で「る」が終わっています)
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ゆきとけて・・・ むらいっぱいの・ こどもいでる・・ |
どれも、裏拍で終わっていますよね
そのため、言葉が宙ぶらりんの状態となり、流れの悪さを感じさせるのです
ということは、裏拍で終わるのを直せれば、流れの悪さが解消されると言うことです
上五字余りの句は、このように読めば、先ほどの問題が解消できます
上五字余り
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ゆきがとけて・・ むらいっぱいの・ こどもかな・・・ |
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・ゆきがとけて・ むらいっぱいの・ こどもかな・・・ |
裏拍から読み始めることで、「て」がしっかり地面に付いた感じとなり、流れが改善されます
つまり、上五で「字余り」や「字足らず」であっても、最後の語がしっかりと拍に収まる読み方ができれば、それほど、流れの悪さを感じさせない俳句になるのです
ちなみに、中七の字余りを裏拍から読み始めると、次の小節に食い込んでしまうので、リズムはおかしくなります
七字余り(「の」が次の小節に食い込んでしまう)
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ゆきとけて・・・ ・むらにいっぱい のこどもかな・・ |
下五の字余りを裏拍から読み始めると、だらだらと言葉が続くように感じられて、やはりリズム感は失われます
下五字余り(だらだらと続く印象となってしまう)
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ゆきとけて・・・ むらいっぱいの・ ・こどもいでる・ |
このように見比べてみると、字余りは上五のほうがやり易そうだということが分かります
ただ、上五であれば全て許されるかというと、そうではなくて、裏拍から読むことでリズムが改善される場合は、「流れの悪さを感じさせない」ということになります
字余り多くは、よく考えると575に直すことができるものです
ですので、できれば字余りをせずに、575でまとめることをお勧めします
どうしても575にはまとめられず、字余りをせざるを得ない場合は、上五に置くことができないか考えるとよいでしょう