「梅つ五月」は、なぜ旧暦二月なのか?

 

歳時記の中に、分からない季語がある

如月(きさらぎ)の関連季語に含まれている「梅つ五月(うめつさつき)」

 

如月(きさらぎ)は旧暦二月の別称のため、梅つ五月(うめつさつき)も旧暦二月の別称になる

ただ、梅つ五月の「五月(さつき)」は旧暦五月のことである

 

なぜ、五月と書いて旧暦二月を指すのだろう

 

似た言葉に「梅つ月(うめつづき)」という言葉がある

「つ」が現在の「の」にあたる言葉なので、「梅の月」という意味で旧暦二月の別称

 

この言葉があるから、余計「梅つ五月」が旧暦二月である理由が分からない

 

 

「梅つ五月」を旧暦二月だと紹介している本は次のものがあり、それぞれ示している資料はつぎのもの

精選日国

うめつさつき(梅五月)

古今打聞「二月、むめつさ月」「鶯の通はぬ里の 宿はあらじ 花さかりなる むめつさ月に」

広辞苑

うめつさつき(梅つ五月)

秘藏抄「二月の一」

日本国語大辞典

うめつさつき(梅つ五月)

俳諧四季部類1790)二月「きさらぎ 梅見月 梅つさ月」

日本国語大辞典

うめつさつき(梅つ五月)

古今要覧稿「梅つさ月、按に此月梅咲月なれば云也。つさは助字也」

角川大歳時記

うめつさつき(梅つ五月)

資料なし

 

ここで示された資料はどれも「梅つさ月」と書かれていて

「梅つ五月」と書いている資料は一つもない

 

「梅つさ月」は本当に「梅つ五月」と書くのだろうか

「梅つ五月」と書くのであれば、「五月」となった理由を書いた本もあるはずだが、見つからない

 

わたしは、「梅つさ月」の「さ月」が五月(さつき)と書くとは、どうも思えない

現在、存在する言葉の中に、ある月を(例えば1月を)別の月で表記して(例えば2月や3月と表記して)、これは1月をさすのだ、と言う事例はない

仮にその様なことを言う人がいたら、混乱するのでやめてください、と皆が言うだろう

 

 

 

古今要覧稿には、「うめつさつき」の「つさ」は助字と書いている

「つ」が助詞の「の」、「さ」が接頭だろうか?

そうすると「梅つ月」の単語の中に誤用して「さ」を入れてしまった、ということだろうか

考えても答えはわからない・・・

 

 

今回のような季語を見るたびに思うことがある

なぜ歳時記には全ての季語に意味が書かれていないのだろうか?と

 

歳時記は9割以上を占める子季語に意味を書いていない

書かれていれば、その言葉を使うときに「あれ?」本当にこの意味は正しいの?と考えることができるが

書かれていないから、きっと正しいのだろうと信じて使うことになる

誤った語が紛れていても、読者は分からないままだ

 

俳句は言葉が命

特に季語は一句のかなめになる

その季語の意味がそもそも間違っていたら、作品は台無しになる

 

歳時記から季語(特に子季語)を拾う場合は、注意したほうが良い

手間でも一度、辞書を引かなければいけない

 

 

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