俳句で「切れ字」を2つ使うことは問題?

「切れ字の重複」について

俳句の「切れ字」といえば、「や・かな・けり」がその代表格です。 これらの使い方の基本として、多くの入門書や句会では「一句の中に切れ字は一つが望ましい」と指導されます。
しかし、ある程度俳句に慣れ、表現の幅を広げようとしたとき、ふと疑問が湧いてくることがあります。
切れ字を二つ使うことは、本当に「間違い」なのだろうか?

中級者以上になってもなお、「有名な先生がダメだと言っているから」という理由だけで重複を避けるのは、少し寂しい気もします。
それは表現の本質に向き合うことではなく、単なる「ルールへの同調」。いわば思考停止になっていないでしょうか。

切れ字の重複がなぜ嫌われるのかという「構造上の問題点」。
一方で、文法的な役割や感動の必然性から導き出される「肯定的な視点」。
記事では、この「切れ字の重複」というテーマについて、否定派・肯定派それぞれの考えを整理して、提示したいと思います。
単に決まり事に従うのではなく、自分自身の表現として「二つの切れ」をどう捉えるべきか。この記事が、あなた自身の俳句観を深めるための判断材料になれば幸いです。



「切れ字の重複」 否定側の考え

「切れ字の重複は避けるべき」と考える立場には、最短詩としての構造を守り、感動を薄めないように、という考えがあります。

  • 焦点の分散: わずか17音の中に「感嘆符(!)」が複数あると、感動のピントがボケてしまう。
  • 調べの断絶: 切れ字は強力なブレーキ。何度もリズムが止まると、一句の調べがギクシャクして心地よさが失われる。
  • 推敲の不備: 重複の多くは「対象を一つに絞りきれていない」結果であり、技術不足を「感性」で誤魔化してはいないのか。
  • 余白の消失: 切れ字は「余白」を生むもの。余白が多すぎると、かえって騒がしくなり、情緒が失われてしまう。
  • 先人の知恵: 「切れ字は一つ」という教えは、先人達が何年もかけて発見したもので、より感動を届けるための知恵ともいえる。
  • 文芸としての公共性: 表現の自由はあっても、読者に正しく感動を届けるという視点に立てば、成功率の低い重複は否定すべきである。



「切れ字の重複」 肯定側の考え

一方で、「型」に縛られず、表現の必然性を重視する立場からは、以下のような考えが示されます。

  • 役割の分担: 上五の「や」で情景を提示し、下五の「けり」で詠嘆するなど、役割が明確であれば重複は効果的な重奏になる。
  • 感動の必然性: 複雑な現実に直面した際、複数の感慨が同時に湧き上がるのは自然なこと。それを型のために削る意味があるのか。
  • 理論は後追い: 俳句の本質は「心が動くか」であり、理論ではない。未知の表現が、俳句の歴史を紡ぐのではないのか。
  • 「切れ」と「切れ字」の混同への疑問:名詞止めや句切れなど、名句とされる句の多くは実質的に「二箇所以上の切れ」を持っている。それが「や・かな・けり」に置き換わった途端にダメだと言うのは、理論の矛盾。
  • 文法的機能の精査:「や」には詠嘆だけでなく、呼びかけ・疑問・反語・列挙など多彩な機能がある。文脈を読まずに字面だけで「重複」と断じるのは、読解力の欠如。
  • 切れ字の強弱:「ぬ(完了)」と「けり」の重複が許容されるのに、「や」と「けり」が拒絶されるのはなぜか。強弱の違いで一律に禁止することは、表現の幅を狭めるだけ。
  • 作者の主権: 外野が「理論に反する」と否定するのではなく、作者がその瞬間に掴み取った「音」を肯定するべき。



「切れ字の重複」を使った俳句

理論的には「避けるべき」とされる切れ字の重複ですが、名句の中にもその形は存在します。ここでは、上五に「や」、下五に「けり」や「かな」を配した句をご紹介します。それぞれの句が持つリズムと、感動の重なりを感じてみてください。

「や」+「けり」の俳句

胸の手や暁方は夏過ぎにけり  石田波郷石田波郷の句集(Amazon) >>
うそ寒きラヂオや麺麭を焦がしけり  石田波郷石田波郷の句集(Amazon) >>
機織や田は植ゑられて了ひけり  石田波郷石田波郷の句集(Amazon) >>
鮎打つや天城に近くなりにけり  石田波郷石田波郷の句集(Amazon) >>
茶を買ふや麻布も暑くなりにけり  石田波郷石田波郷の句集(Amazon) >>
南天や八日は明日となりにけり  石田波郷石田波郷の句集(Amazon) >>
梅雨近き用や葛西にわたりけり  石田波郷石田波郷の句集(Amazon) >>
降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男中村草田男の句集(Amazon) >>
ぼろ市や空一枚を使ひけり  大木あまり大木あまりの句集(Amazon) >>
三伏や影に表裏の無かりけり           岩淵喜代子岩淵喜代子の句集(Amazon) >>
初花や膚は光源を讃えけり              岡田一実岡田一実の句集(Amazon) >>



「や」+「かな」の俳句

七十路や片足ずつのおぼろかな       大橋静 
七変化咲くだまされてばかりかな     吉田未灰吉田未灰の句集(Amazon) >>
七夕や牛馬流れてゆきしかな           横須賀洋子 
春や昔十五万石の城下かな                 正岡子規正岡子規の句集(Amazon) >>
初雪や五百羅漢の褥かな     北田和子 
夕冷や横に臥し貼るたいるかな       山本林三 




切れ字の重複は「あえて」なのか、それとも「推敲不足」なのか?

「切れ字の重複」をめぐる議論で重要なのは、「ルールを守っているか、いないか」ではありません。
その重複が、「表現上の必然性」によるものなのか、たんに「推敲不足」によるものなのか、という点です。
もし、ご自身の作品で切れ字が重なったとき、この2つの視点から作品を確認するとよいでしょう。

【表現上の必然性】

  • 容易に助詞に置き換えることはできない。
  • 助詞に置き換えると、感動が失われる。
  • 切れ字によってリズムが途切れても、それが個性になっている。
  • 推敲を重ねた末の「あえての選択」の結果。

もし、このような理由であれば「切れ字の重複」を、どうどうと使ってもよいのではないでしょうか。
一方で、以下の問題点がみられる場合、もう少し「推敲」を重ねてみたほうが良いかもしれません。

【推敲不足】

  • 二つの切れ字が、それぞれ主張をしている。
  • 切れ字によってリズムが崩れている。
  • 容易に助詞に置き換えられる。


最後に

切れ字の重複について、いろいろな視点で見てきました。あなたは、切れ字の重複についてどのように感じましたか?
切れ字の重複をどう捉えるか、最後は作者の選択によります。
型を学び、型を理解した上で、それでもなお「この2つの切れが必要だ」と思える作品を作れたとき、ご自身の作句技術は一つ上昇した、と言えるのではないでしょうか。


では最後にもう一度だけ、切れ字を重ねた句を見てみましょう。
作者はどのような葛藤を乗り越え、これを必然と考えたのか。
あなたは、どのように感じますか?


降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男




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