俳句の手直しで「中心」を守る大切さ
平凡な俳句を作ってしまい、手直しをしようとするとき、ついつい全体をこねくり回してしまいがちです。しかし、絶対に手を触れてはいけない部分があります。それが俳句の「中心」です。
例えば、次の俳句を考えてみましょう。
夕風に 吹かれて桜の 散りにけり
この句を直す際に注意すべきことは、句の中心である「桜が散る」という部分に絶対に触れないことです。この部分が俳句の核心であり、ここを変えてしまうと句自体が全く別のものになってしまいます。
今回の俳句でいえば、「夕風に吹かれる」の部分を変えるのが適切です。さらに言えば、「夕風」と「吹かれる」のどちらか片方だけを変更すれば十分です。両方をいじると、仕上がりが曖昧で意味の分からないものになりやすいため、慎重に取り組むことが重要です。
こうして、一か所だけを直せば良いと考えると、推敲が格段に簡単になります。
夕風に 吹かれて 桜の散りにけり
↑ ↑ ↑
① ② ③
おさらいすると、③の句の中心には手を触れず、①または②のどちらかの言葉を直すことがポイントです。
手直しの実例
まずは①を直してみましょう。
- ごうごうと 吹かれ 桜の散りにけり
- 潮風に 吹かれ 桜の散りにけり
- さやさやと 吹かれ 桜の散りにけり
次に②を直してみます。
- 夕風に あおられ 桜散りにけり
- 夕風に 抗い 桜散りにけり
- 夕風に 誘われ 桜散りにけり
このように、直す場所を絞ることで、その部分に力を集中することができます。やみくもに全体をこねくり回すと、最初に言った「句の中心」をいじってししまい、かえって意味がわからなくなってしまうことが多いのです。
句の「中心」を見つける方法
句の「中心」は、どこなの?と思う人もいると思います。
句の「中心」は、あなたがその俳句で一番言いたいところです。
「桜が散った」ことを一番詠みたかったのだとすれば、それが句の「中心」です。
「鹿が駆けた」ことを一番詠みたかったのだとすれば、それが句の「中心」です。
そのように、考えれば大丈夫です。
次の句で言えば、赤い部分が中心ということになります
眞直ぐに日差し捕へて蜜柑照る 川上万里
捨て猫に名月の餌やるひとりふたり 加藤知子
違う見方をすれば、句の「中心」は、それだけでも意味が分かる
句の「中心」を消してしまうと、意味が分からなくなる、とも言えます
句の「中心」をいじると何故いけないの?
句の「中心」をいじると何故いけないのかについて説明します。
眞直ぐに日差し捕へて蜜柑照る 川上万里
先ほどの句を例にしてみますが
赤文字部分の句の「中心」は、それだけでも意味が分かる
と説明しました。
ということは、「蜜柑照る」
という部分があるから、句が何について言っているのかが分かるとも言えます。
もし、推敲の際にここをいじったら、何について言っているのかが分からなくなってしまう可能性が高まります。
眞直ぐに日差し捕へて蜜柑照る
↓
↓(「照る」を、別の言葉に推敲してみる)
↓
眞直ぐに日差し捕へて蜜柑光る
↓
↓(「光る」を、別の言葉に推敲してみる)
↓
眞直ぐに日差し捕へて蜜柑冴え
どうでしょうか。
「蜜柑照る」であれば、それだけで意味を分かるのですが、「蜜柑光る」「蜜柑冴え」というように推敲をすると、それだけでは意味が分からなくなってしまいます。推敲をすればするほど、ここの言葉に余計な工夫を重ねるほど、その傾向は高まります。
「蜜柑照る」があるから、その句が何について言っているのかが分かったはずです。
ここで何を言っているのかが分からなくなると、句全体を通して意味の分からない作品になってしまいます。
先生の添削も、句の中心はいじらない
先生に俳句を添削してもらうことがあると思いますが、その際も句全体を直されることは少なく、一部分を修正することがほとんどです。それだけで俳句が劇的によくなることが多いのです。添削されたものを見ると、句の中心部分には手を加えずに、周辺を調整していることがわかります。
直してはいけない部分を知るということは、どこを直せばよいのかがわかるということです。それがわかるだけで、推敲の質もスピードは劇的に上がります。
手直しの際の注意点リスト
句の「中心」を探すときには、次のポイントに注意しましょう。
1つ目は、句の中心を見失わないこと。中心を間違えると、必要のないところをいじってしまう可能性が高まります。
2つ目は、句の中心を変更しないこと。句の中心は肝です。これがあるから句の言いたいことが分かります。ここをいじると、それが分からなくなります。