現在発売されている歳時記では、「熊」は冬の季語とされていますが 1.2.6.7.8)
なぜ「熊」が冬の季語なのでしょうか?
現在の日本では、熊の目撃情報がもっとも増えるのは夏です。
このため、「熊」の季語を調べる人が増えるのも、被害のニュースが報じられる夏場。この現状に鑑みれば、季語としての「熊」は冬よりも夏に適しているのではないでしょうか。
歳時記の「熊」と現実の矛盾
歳時記では「熊」が冬の季語とされていますが、これは生態と実際の目撃情報に大きな矛盾を抱えています。
熊は冬の間、冬眠しており、ほとんど人目に触れることはなく、目撃情報がもっとも多いのは春から秋にかけてです。
環境省のデータを見ると、特に6月から7月の夏場に熊の目撃情報は集中していて、これは熊の生態サイクルと一致します。
春に冬眠から目覚め、夏は繁殖期を迎え、秋は冬眠に備えて餌を探すため活発に行動します。
つまり、私たちが熊と遭遇する可能性が高いのは、冬ではなく、春から秋なのです。
環境省が報告する令和3~6年までのクマの出没情報でも、平均値は6月が最も多く3102件、次いで10月2659件、7月2613件、8月2164件の順番で多い 13)
ヒグマの生態・習性
季語「熊」の歴史と冬の不適切さ
「熊」が冬の季語になった背景には、歴史的な経緯があります。
季語「熊」の成立過程
- 明治時代(1898年)
俳句雑誌『ホトトギス』において、「熊」は冬の事物と取り合わせて句が作られていました。ここで詠まれた熊は、主に冬の熊狩りの対象としての熊でした。 4)
・大雪や屯田兵の熊を獲つ
・雪の中を熊引きずって戻りけり - 明治時代末期(1903年)
大江濤畝が「熊突き(熊狩り)」を冬の季語として歳時記に掲載しました。この時点ではまだ熊は季語になっていません。 11) - 明治時代末期(1909年)
中谷無涯が「熊」を冬の季語として歳時記に掲載しました。しかし、熊を冬に分類した理由は示しておらず、熊を扱った具体的な例句もありません。 3) - 昭和時代初期(1927年)
宮田戊子も「熊」を季語として採用しますが、例句は冬の季語である熊打ち(熊狩り)を掲載しています。 10)
季節感の矛盾
その後の山本三生の歳時記に、熊を詠んだ俳句が初めて掲載されますが、本来であれば冬には活動していない熊を例句として扱ったため、掲載された俳句は季節感の薄いものとなりました。 12)
・熊つれしアイヌ芝居の一座かな
・月の輪のよごれて檻の熊あはれ
冬の季語となった要因の考察
「熊」が冬の季語とされた要因としては、以下の点が考えられます。
- 先行の歳時記の影響: 中谷無涯が冬に採用したことが、後続の歳時記に引き継がれた可能性。
- 冬の生活との関連: かつての冬の生活の分類に、冬の熊狩りや穴突き(冬眠中の熊を槍で突く猟)といった季語があったことから、それに引きずられて動物の分類も冬とされた可能性。
当時の歳時記の編者である山本三生自身も、熊を冬の季語として採用しながらも、その理由を明確には述べていません。むしろ解説では、熊が秋に人家近くに現れて被害を与えるという、季節に矛盾した記述を残しています。
このように、近代の歳時記が「熊」を冬の季語として定めた決定が、今日の歳時記における「熊」の季節の矛盾を生み出したと考えられます。
「熊の子」という新しい季語の登場
近年、この矛盾を解消しようとする動きも見られます。
「角川俳句大歳時記」は、2006年版では掲載していなかった「熊の子」を、2023年版で「熊」の子季語として追加しました。
- 2006年版: 熊、羆、赤熊、白熊、黒熊、月輪熊、北極熊 1)
- 2023年版: 熊、羆、赤熊、白熊、黒熊、月輪熊、北極熊、熊の子 2)
これは、熊が冬眠中に子を産むという生態に合わせた措置と見られます。
確かに、動物の季語の中には出産がみられる季節の季語とされるものがあります。例えば、春に子馬が生まれることから「子馬」は春の季語です。
このように考えると、「熊の子」を子季語として入れることは、一見、冬の季語としての正当性を補強するように思えますが、生まれた子熊を実際に見かける頻度が高いのは、やはり夏です。
親から独立したばかりの子熊が、初夏に野イチゴを食べる姿は「クマの苺落とし」とも呼ばれ、しばしば目撃されます。 9)
親も子も、活動が活発になるのは夏であり、やはり夏の季語がふさわしいのではないでしょうか。
俳句における「熊」の句
冬の季語として「熊」を詠むことは、現実との乖離から非常に困難です。
多くの俳句を見ると、実際に冬の熊を肌で感じた句は少なく、以下のような俳句が詠まれています。
もう何度ストラップの熊よみがえる
クラス会明日は熊を撃ちに行く
拾った木の実熊に出会えば手渡したし
熊の出た話わるいけど愉快
白熊を連れジプシーの女来る
これらはすべて、実際に冬の野山で熊に遭遇した経験に基づくものではありません。
熊が冬の季語であることは、俳句という文学において、現実感を帯びた句が生まれにくいというデメリットにつながっているのではないでしょうか。
俳句が現実の季節感を捉える文学であるならば、熊の季語も現実の生態や目撃情報に合わせて、冬から夏に変えていった方が良いのではないかと考えます。
夏の季語として「熊」を使ってみる
熊の俳句を作ろうと思えば、当然、目撃情報の多い夏に作ることが多くなります。
もし、夏に熊の俳句を提出したとき、先輩から「熊は冬の季語なので夏に出すべきではない」という指摘を受けた場合、どうすればよいでしょうか。
最も丁寧で波風を立てない答え方は、「歳時記の伝統を尊重しつつ、現代の現実を詠みたい」という姿勢を示すことです。
伝統を尊重しつつ、謙虚に現代の事実を述べる
「歳時記の伝統」と「現代の生態や事実」の両方に言及することで、自分の創作意図を説明します。
ご指摘ありがとうございます。
歳時記の伝統では熊が冬の季語であることは承知しています。
ただ、現代の目撃情報や私の体験として、熊に出会ったのは夏(または春・秋)であり、この現実の迫力や季節の情景を大切にしたいと思い、敢えて夏の句として詠みました。
これからは、季語の伝統と現実との折り合いのつけ方を、もっと学びたいと思います。
このような言いまわしであれば、角が立たないと思います。
伝統か、現代のリアリティか
熊を冬として使うか夏として使うかは、結局のところ、伝統をとるか現代のリアリティをとるかの選択と言えます。
どちらを選ぶにしても、それは選んだ人の選択が尊重されるべきもので、まわりが何かを言うことでもないと感じます。
どうしてもうまく収まらない場合は、あえて季語を使わない無季(むき)の句として提出する選択肢もあります。
いずれにしても、自分の「真実」を詠むことを大切にしてください。
★
今回は、熊が歳時記で冬の季語とされた歴史的背景について解説しました。
次回は、この「熊」という季語の傍題(関連季語)に、日本には生息していないはずの「北極熊」が掲載されているのはなぜか?という謎に迫ります。

| 1) 角川学芸出版.(2006).角川俳句大歳時記.角川書店. 2) 角川書店.(2022).新版角川俳句大歳時記.KADOKAWA. 3) 中谷無涯 編.(1909).新脩歳時記 冬の部.俳書堂. 4) ホトトギス 1(13).(1898).ホトトギス社. 5) 柳下孤村 編.(大正4).元禄、天明、明治時代俳句選 冬及新年の部.木太刀社. 6) 現代俳句協会.(2004).現代俳句歳時記.学研プラス. 7) 角川書店.(2019).合本俳句歳時記.KADOKAWA. 8) 汀子稲畑.(1999).ホトトギス俳句季題便覧.三省堂. 9) 新潟県立浅草山麓 エコ・ミュージアム.https://www.eco-museum.jp/2021/06/6952.html (参照:2024.04.23) 10)宮田戊子.(1927).大成歳時記.星文閣. 11)大江濤畝 編.(1903).新歳時記.宝文館. 12)山本三生 編.(1933).俳諧歳時記 冬.改造社. 13)クマ類の出没情報についてhttps://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/syutubotu.pdf(参照:2025.11.12) |
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