現在発売されている歳時記では、「熊」は冬の季語とされていますが 1.2.6.7.8)
なぜ「熊」が冬の季語なのでしょうか?
現在の日本では、熊の目撃情報がもっとも増えるのは夏です。
このため、「熊」の季語を調べる人が増えるのも、被害のニュースが報じられる夏場。この現状に鑑みれば、季語としての「熊」は冬よりも夏に適しているのではないでしょうか。
歳時記の「熊」と現実の矛盾
歳時記では「熊」が冬の季語とされていますが、これは生態と実際の目撃情報に大きな矛盾を抱えています。
熊は冬の間、冬眠しており、ほとんど人目に触れることはなく、目撃情報がもっとも多いのは春から秋にかけてです。
環境省のデータを見ると、特に6月から7月の夏場に熊の目撃情報は集中していて、これは熊の生態サイクルと一致します。
春に冬眠から目覚め、夏は繁殖期を迎え、秋は冬眠に備えて餌を探すため活発に行動します。
つまり、私たちが熊と遭遇する可能性が高いのは、冬ではなく、春から秋なのです。
環境省が報告する令和1~5年までのクマの出没情報でも、平均値は6月が最も多く2738件、次いで7月2677件、10月2528件、9月2340件の順番で多い 10)
ヒグマの生態・習性
季語「熊」の歴史と夏の不適切さ
「熊」が冬の季語になった背景には、歴史的な経緯があります。
明治時代後期の俳句雑誌「ホトトギス」では、熊はまだ季語ではなく、冬の題材として扱われていました。
雪の中を熊引きずって戻りけり
大雪や屯田兵の熊を獲つ
冬枯や昔熊居し穴在す
その後、1915年に俳人の柳下孤村が、正岡子規の「熊売って乾鮭買ふて帰りけり」という句を例句に挙げ、「熊」を冬の季語として歳時記に掲載しました。 5)
ただ、この句が示す「熊」は、冬に熊狩りで仕留められた熊です。
当時の歳時記には、熊狩りや穴突きといった生活に密着した事柄が冬の季語として分類されていたのにも関わらず、熊狩りで仕留められた熊を冬の動物の季語として採用してしまいました。
これ以降、ほかの歳時記も「熊」を冬の動物の季語として掲載するようになりました。
当時は野生の熊を詠んだ句はなかったため、結果的に狩りの熊を例句に挙げてしまったのだと思いますが、もしもこのとき、生きた熊を詠んだ句があったなら、季節は夏になっていたのではないでしょうか。
このときの決定が、今日の歳時記に続く「熊」の季節の矛盾を生み出したと考えられます。
「熊の子」という新しい季語の登場
近年、この矛盾を解消しようとする動きも見られます。
「角川俳句大歳時記」は、2006年版では掲載していなかった「熊の子」を、2023年版で「熊」の子季語として追加しました。
- 2006年版: 熊、羆、赤熊、白熊、黒熊、月輪熊、北極熊 1)
- 2023年版: 熊、羆、赤熊、白熊、黒熊、月輪熊、北極熊、熊の子 2)
これは、熊が冬眠中に子を産むという生態に合わせた措置と見られます。
確かに、動物の季語の中には出産がみられる季節の季語とされるものがあります。例えば、春に子馬が生まれることから「子馬」は春の季語です。
このように考えると、「熊の子」を子季語として入れることは、一見、冬の季語としての正当性を補強するように思えますが、生まれた子熊を実際に見かける頻度が高いのは、やはり夏です。
親から独立したばかりの子熊が、初夏に野イチゴを食べる姿は「クマの苺落とし」とも呼ばれ、しばしば目撃されます。 9)
親も子も、活動が活発になるのは夏であり、やはり夏の季語がふさわしいのではないでしょうか。
俳句における「熊」の句
冬の季語として「熊」を詠むことは、現実との乖離から非常に困難です。
多くの俳句を見ると、実際に冬の熊を肌で感じた句は少なく、代わりに以下のようなものが詠まれています。
- 熊の出没の噂話
- 日本にはいない北極熊の想像や、動物園の白熊
- 登山でつけた熊除けの鈴の思い出(冬に夏登山の思い出を詠んだもの)
これらはすべて、実際に冬の野山で熊に遭遇した経験に基づくものではありません。
熊が冬の季語であることは、俳句という文学において、現実感を帯びた句が生まれにくいというデメリットにつながっているのではないでしょうか。
俳句が現実の季節感を捉える文学であるならば、熊の季語も現実の生態や目撃情報に合わせて、冬から夏に変えていった方が良いのではないかと考えます。
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参考資料
1) 角川学芸出版.(2006).角川俳句大歳時記.角川書店. 2) 角川書店.(2022).新版角川俳句大歳時記.KADOKAWA. 3) 山本三生 編.(昭和8).俳諧歳時記 冬.改造社. 4) ホトトギス 1(13).(1898).ホトトギス社. 5) 柳下孤村 編.(大正4).元禄、天明、明治時代俳句選 冬及新年の部.木太刀社. 6) 現代俳句協会.(2004).現代俳句歳時記.学研プラス. 7) 角川書店.(2019).合本俳句歳時記.KADOKAWA. 8) 汀子稲畑.(1999).ホトトギス俳句季題便覧.三省堂. 9) 新潟県立浅草山麓 エコ・ミュージアム.https://www.eco-museum.jp/2021/06/6952.html (参照:2024.04.23) |
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