流されし分だけもどるあめんぼう
松下 君子
流されし分だけもどるあめんぼう
〇読み
流されし 分だけもどる あめんぼう
ながされし ぶんだけもどる あめんぼう
〇句意
水面にアメンボウ(水馬)が止まっている。ふと吹いた風に水馬が流されたが、その流された分だけ、水馬が戻って、元の位置に戻った、という俳句
〇季語
あめんぼう(水馬) / 夏
アメンボ科に属する水生昆虫で、水面の上を滑るように移動する
句の魅力
小さなさりげない動きを詠んで、深い余韻を感じさせる俳句。
「流されし分だけもどる」の言葉
もしこの句が「風に流されたので戻った」という作りだったら、因果関係の強い「説明句」になってしまい、水馬の動きのスケール感が伝わらない。
しかし、ここでは「流されし分だけもどり」という表現を選んでいる。この「分だけ」という言葉があることで、読者は水馬がどれほどの距離を押し流され、どれほど戻ったのかという具体的な「動きの大きさ(距離)」を鮮明に想像することができる。
このことの選びが、映像を具体化させている。
動機の省略
「風に流されたので戻った」とすると、水馬の動機をさも分かっているかのような主観が入ってしまうが、「流されし分だけ戻った」とすることでそれが消える。
主語の省略
「流された分だけ戻った」という表現には「風」という主語が省略されている。
動きそのものを具体的に描写することで、主語を省略しても光景が十分に伝わるという、俳句の作り方の重要な手本が見て取れる。
事実をそのまま描く
作者は水馬の習性を淡々と詠むだけで、「元の位置に戻りたいのだ」という水馬の思考を暗示させる言葉は一切書いていない。だからこそ、押し流されることへの抵抗や、水面に浮かぶ小さな命の健気さが自然と立ち上り、読後に深い余韻を残す。
人生の真理
この句は、水馬という身近な夏の季語を使って「人生の真理」をサラリと詠み上げている点が良い。
水馬の生態を描きながらも、そこには「生きていれば流されることもあるが、流された分だけ、また努力して元の場所や自分の信念へ戻ればいい」という、人生哲学のような香りを漂わせている。
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